Fubarのブログ

死ぬまでの日記

あいちトリエンナーレの総括とか。

あいトレ当時はめちゃくちゃ忙しくてほとんどはてなが出来ず、表現の自由聖戦士を名乗りながらほとんど話題に参加できなかったのでいまさらちょこっと言及します。

 

[B! 表現の自由] 表現の不自由展、会場を変更へ 中止求める街宣相次ぐ:朝日新聞デジタル (hatena.ne.jp)

 

あいちトリエンナーレは日本における政治的正しさと表現の戦いだった、と思っています。

これだけだと当たり前じゃないかと思われるかもしれません。補足しましょう。

ここでいう政治的正しさには日本におけるという注釈をつけています。

もう少し分かりやすく説明すると、日本におけるポリコレ界隈の人たちが信奉する政治的正しさはなぜかアメリカにおけるポリコレを直輸入した価値観であるということです。そしてあいちトリエンナーレで問題になったのは、日本におけるポリコレだったという指摘をしています。

国家ごとにそれぞれの政治的正しさは存在し、いくら日本が歴史的経緯から最もアメリカナイズされた価値観を有するクッソ情けない敗戦国であろうとも、我々には我々の価値観があるはずなのです。

アメリカのポリコレはまさしく多民族国家が共生のために掲げた価値観であって、欧州や中東の政治的正しさとは別なんですね。

日本がアメリカの属国であるという価値観で、ポリコレ界隈の人たちがそうした価値観をインストールしているのは無邪気でいいと思うんですけど、表現に携わる人間なら、そこに一つ二つの疑問を持っておきたいですよね。

例えばホロライブ騒動はまさしく中国における政治的正しさとホロライブの表現が衝突した結果でありました。

そういう意味で日本における政治的正しさとは、天皇制を始めとする諸制度であり、だからこそあいちトリエンナーレで表現と衝突したわけです。

ご存じのとおり私は反ポリコレを掲げているので、こうした日本的、あるいは米国的な政治的正しさはくそくらえだと思っているのですが、こうした観点からあいトレを振り返ると不思議なことが起きていました。

あいトレにおいては(米国的)ポリコレ界隈の人がアンチ(日本的)ポリコレに、そしてアンチ(米国的)ポリコレの人の少なくない人が(日本的)ポリコレサイドに立つという現象が発生していました。

上皇陛下の政治的態度は戦略としてめちゃくちゃ強くて、天皇制の是非はともかく、日本の有名人で好感度の高さだけでいえば全一だと思うんですよね。

そこに日本で好感度の低さでいえばそこそこの上位に入る左派系界隈が喧嘩売ったらポリコレの立場が逆転した戦いになったの、人間っておもしれ~。

 

やがて君(ネトウヨ)になる

僕が表現の自由戦士をやっているうえでぼんやりと当初から考えていたこととして、いずれ表現の自由戦士的活動家はネットにおける大衆から嫌悪されるようになるだろうという予測です。(というより既にそうなりつつある。これは当初の予想だったので)

これは既にネトウヨが辿った道であり、ネトウヨ界隈における韓国が、表現の自由戦士界隈におけるネトフェミであり、そして今ネトウヨがネットにおいて政治厨として隔離されているのはご承知の通りでしょう。

こういうことを書くと右派系の人がお前ら左翼がーとか吠え始めるので勘違いしないでほしいのですが、別に左派系もまったく好かれておりません。同じように隔離されています。*1

まともなネット民においては政治の話題はダサい(≒政治の話題をしている奴がダサい)は今でも共通認識としてあって、僕もはてな以外では政治の話題は一切触れません。なぜなら関わってる奴が全員ありえないほどキモくてものすごくダサいから。

ただ、そんなネトウヨが何の成果もなさなかったかというとそうではありません。

かつて左翼の牙城とされ、はてサと呼ばれる人々の巣窟だったはてなブックマークにおいてさえ、左派嫌悪の増加、韓国のレーダー照射事件や、各種のニュースでも擁護の声が確実に減ったことは、根底に流れる嫌悪感、ネトウヨと思われたくはないが、さりとて擁護する気にもならない、この価値観と空気を植え付けたことは、ネトウヨの政治的活動の成果であると言えます。

同時に現実ではネトウヨの誕生以前よりも明らかに保守系に差別的な勢力が存在感を増しており、適当にはてな民のボリューム層(氷河期世代)のフェイスブックあたりを覗けばネトウヨ的価値観にアップデートした人々がたくさん生まれたことが確認できます。

それをいくら侮蔑しようと、政治は正しい者が勝つわけではないのです。

この点でいえば左派系は本当に戦略がゴミすぎて悲しくなってしまいます。ハッシュタグで非道や不正を糾弾すれば賛同者が増えるとでも思っているかのような、幼稚な政治観は、支持率を見て早急に考え直した方がいいと思います。

私は左派ですがこうした馬鹿な連中とは絶対に一緒に肩を並べたくね~と思っています。

私はネトウヨの再現をやりたかったのです。ナチスのやり方を学んだ自民党のように。

つまり表現規制派に対する薄っすらとした嫌悪感、界隈丸ごと関わりたくないと思わせる蟲毒、そして規制派的主張が即座に炎上に繋がる社会。素晴らしい。先日のフェミ議連の人々も、もはや私は全く言及していませんが勝手に炎上していて、本当に安心します。僕は自動的なんだ。

私は表現の自由戦士の暴徒化をそういう目で見ています。

それでも、本当は、お気持ち主義的なネトフェミを反面教師にして、表現の自由戦士であるならばあいトレを擁護してほしいと思っているのですが、見ている感じだと保守系の人々が合流していたり、保守系かつ表現の自由戦士をやっている人も中にはいて、日本的ポリコレを掲げてしまった人もいて、悲しいなと思っています。

まあ私は間接民主主義や政党政治には期待していないので妥協だけでやっていってます。

ネトフェミにも感謝しています。あれはネトウヨの女性版と評していましたが、想像以上にネットでの好感度を下げていく動きをしていて、なおかつ頭の悪い人間がまったく切断処理されないので、ネットの大衆にとって物凄く叩きやすいんですよね。

表現の自由戦士の中にも馬鹿な人はいるんですけど、相対的にネトフェミの方が酷いなって感じで同情票が集まらなくなっていて、本当にすごい。

長くなったのでこのへんで。