houjiTさんとの出版停止もろもろ会話
例の件でidコールしたら回答してくれたのでまとめました。
長くなってきたのと、100字で返せない未熟なブクマカですまねえ……
私がこの手の規制議論で最も気になるのはこの裁定者の部分なんですよね。
今回id:houjiTさんが示した消費者による裁定はこれは現実を捉えていないように思えるのです。
あくまで出版停止という判断を下すのは出版社であり、有害だと指定するのは行政であり、読者ではないからです。
読者の抗議があったとして、その数や内容、支持団体その他の要因を勘案して判断を下すところに必ず恣意性が含まれてくる。そうであれば強権をなるべく行使させないようにするしかないと考えます。
読者が出来る裁定は買わないということであり、また批判することを続けていくしかないのです。そうすれば市場的な判断によって読者の求めない表現は駆逐されていくのでしょうから*1
また現在の出版点数を考えるとさらに不可能な話だと思います。読者という集団を裁定者とする時点で、各作品を裁定する集団にそれぞれの偏りが生まれることになるため、今回の作品も18巻も出るまで容認されていたのです。
現在の出版業界の実情は御存じでしょうか。18巻も続刊を続けることが割合としてはかなり難しいのです。つまり売れているのです。それほど多数の読者に読まれてきたにも関わらずこれまで問題になってこなかったわけです。
ということは今回の騒動で国内外で批判をしている大多数は従来の購読者ではないはずです。読者ですらないと思われる人々の発言によって多くの読者を無視して出版停止の判断が下るのでしょうか。もちろん少数派の声を抑圧しろという話ではありません。つまり裁定基準に誰もが納得できる、あるいは説明できる根拠が不足していると思います。
それに裁定を読者の倫理観に依拠するということは、社会の倫理が変動するたびに出版可能になったり停止になったりする書籍が出てくるのでしょうか……。
当たり前ですが、そんなあいまいな基準で出版停止などするべきではありません。
この話の結論として裁定者と、その基準は明確にされなければならないということです。そして裁定者が誰かというと行政と司法であり、その基準を明確にするのであれば法制化する以外に道はない。
法があって社会道徳があるのではなく、社会道徳があって法があるように、出版物、表現についてこうあるべしという国民の社会道徳があるのであれば法制化するべきであります。あるいは有害図書として指定するのでしょうか。
当然、私はそんなものには反対します。
私は少なくとも創作の中では「間違った表現」は許されるべきだと思います。
さてそろそろ死の呪文を唱えて全てを終わりにしようかな……。
『いかがだったでしょうか?』
おしまい
*1:この段はそもそも読者の求めない表現が駆逐されることを是としているわけではありません。また市場的判断に恣意性が含まれる可能性もあるため、結論として良いと言っているわけでもありません